Title Transcription
モルレーシ 「 カラダ ノ キョウイク 」 ミコミショ ニ ツイテ
Authors
能勢 修一
Abstract
1.(a) 1877年(明治10年)10月に至り文部省が体操を振興しようとする積極的な方針を決定したこと。
これに関連して
(b) 外人教師を招聘して直轄学校の体操の授業を行うことであり、その結果リーランドの召聘となったがリーランド召聘の公式手続は1878年(明治11年)1月以降に行われた。
(c) モルレーは、体操教師の養成として、師範学校を重視して、新しい体操教員養成所について触れていない。
これ等から考えて、体操伝習所の開設が具体化したのはリーランド来朝以後であろう。
2. 1877年ごろの文部省直轄学校のうち、開成学校並に大阪英語学校では直訳的な体操及び文部省刊行の体操書による体操が行われていたが一般的には体操についての関心は少なかった。この時文部省は直轄学校の体操を必須科目として取り上げる方針を示しモルレーも同一意見を上申している。
3. モルレーは高等学校の体操は兵式体操を行うことを挙げ、さらに(大学)体操教師にはフランス兵学校で教育を受けた日本人を推せんしている。この理由としては次の事が考えられる。
(a) 陸軍体操所の体操の影響。
(b) アメリカに於ける少年に対する軍事教練の実際。
4. モルレーがリーランド来朝以前に軽体操を一般生徒に行うことを述べていることは注目すべきである。この事はアメリカの学校体操の新しい傾向でありまたリーランドが体操伝習所で紹介し、強調したものである。
以上の諸点においてモルレー氏「身体の教育」見込書は日本の体操の発展過程を理解する上に重要な資料の一つとしてあげることが出来る。
Publisher
鳥取大学学芸学部
Content Type
Departmental Bulletin Paper
ISSN・ISBN
05639638
NCID
AN0017452X
Journal Title
鳥取大学学芸学部研究報告. 教育科学
Current Journal Title
The journal of the Faculty of Education. Educational science
Volume
3
Start Page
124
End Page
136
Published Date
1961-11
Text Version
None
Citation
鳥取大学学芸学部研究報告. 教育科学. 1961, 3(1), 124-136
Department
Faculty of Regional Sciences/Graduate School of Regional Sciences
Language
Japanese